都会で経営者だった私が東南アジアに住む、ということについて。
私は都会で経営者だったけど、正直どんなにお金を稼いでも「月々の払いもの」というなぞの影に追われ消耗・疲弊するだけだった。払いもののない世界はないのかな。あ、あるかも!生活コストを極限まで下げるチャレンジをするという理由も含め、その他諸々の理由から、東南アジアに移住しました。
起業したのは30歳の時です。それまでは一応8年間は会社員でした。起業しようと思ったのは24歳の時で、約6年で起業資金を貯めて、無借金で起業をしました。
仕事は順調で起業2年目で年間の売上は大台に乗りました。
私の経営スタイルというか、狙いどころは、大衆ウケではありませんでした。かなりニッチな場所を、狙ってしていました。一時期「スキマ産業」というワードが流行りましたよね。私はこの、「スキマ」が大好きで、得意なんです。
日頃感じる「あぁ、こんなのあったらいいのになぁ」を自分がやる、という形です。
やりたいことがありすぎるので、いくつかの仕事を同時に行っていましたが、その中でも店舗を構えてやったのは飲食店。ほぼ会員制のようなお店でした。ニッチもニッチ、顧客層は女性、普段飲み歩かない人たちが訪れるバーです(矛盾だ)。
オーガニック、スローフードなどを取り入れたり、HPをつくったり、イベントで宣伝させてもらったりして、有り難い事に開店から半年後には満席が続くお店となりました。
仕事は楽しく暮らしも多少は裕福になり、成功した感を感じていましたが、どこかでもったいないな感が消えません。
そのもったいない感の正体は、月々の払いものの莫大さです。テナントは権利買いしていたので家賃はほぼありませんでしたが、維持管理費がかかります。あと、組合費、町内会費などの払いもの。仕入れ代、スタッフのお給料、通信費、光熱費、水道代。
プライベートでは、住居費、飲食費、交際費、生活費、車の維持費、各種税金……。
めちゃめちゃ飛んでく……稼いでも稼いでも「払いもの」というなぞの影から逃れられないのです。昼夜逆転のためか体調もすぐれず、この仕事はここらで一旦区切りをつけてみるのもいいかと、飲食店を手放すことにしました。
飲食店を手放すと、ものすごく身軽になりました!「払いもの」と「払いものをするという行為」が減ったからです。それから、もっと身軽になるには……と考え出しました。
しばらくはどうにかコストを下げる生活を試みましたが、唯一下げられないのは「都会で暮らすためのコスト」。ここ(都会)にいては、「払いものする為に稼ぐ」というなぞの法則から逃れられないと気づき、次第に、物価が安い東南アジアに暮らしてはどうか、という考えが浮かびました。
そこで、どうせ暮らすなら身につけれることは多いほうがいいので、以下の条件を満たす国を選びました。
すると、ぴったりの国がありました。フィリピンのセブ島です。
当時の物価は日本の4分の1(今は2分の1ほど)。フィリピンの公用語は英語。言わずと知れた、世界有数のダイビング聖地。完璧過ぎる条件。
会社もみつかりました。フィリピンで最多の店舗数を誇る会社です。書類審査、スカイプ面接を経て、採用となりました。
ここで海外暮らしの色々なストーリーは省略します。
コスト削減の結果のみをお伝えします。
東南アジアでかかった生活コストは
【住居費3万円】
- 家賃
- 3食付き
- 光熱費・水道代
- メイドさん2名(掃除・買い物・料理)
【お小遣い1万円】
- 交通費
- エステ・マッサージ
- 被服
- 飲食
合計で1ヶ月4万円で暮らせました。
普段はローカルフードを食べて、フィリピンの人と変わらないナチュラルな生活をして、月に一度リゾートホテルに泊まり、レストランなどを食べ歩くという文化的な時間を持ちました。
仕事では英語とビサヤ語を使うので毎日勉強をし、今ではどちらも生活に支障がないくらいは話せます。洋画を字幕なしで見れるようになりました。スキューバダイビングはプロのライセンスを取り、世界中どこでも潜ることができ、働くことができます。ダイビングはセブだけで2000回潜りました。仕事面では、外国人と対等に交渉する技術とハート、コミッションという神制度の習得、労働力と経営力の分担技術を獲得しました。
東南アジアに住んだ結果、低コスト生活を手に入れただけではなく、数多のスキルも身につけることができました。いま、日本で生き辛いと感じている人は是非一度東南アジアへ行ってみてください。
文字通り、世界が変わります。
都会で女社長だった私が東南アジアに住む、ということについて、でした。