いなかWEBライターのブログ

やりたいこと全部やって生きていたいと思うから、田舎に住むと決めました(今現在は)。

いっこの仕事で全てまかなおうとするからしんどいんじゃないか、ということについて

m(_ _)m(聴こえますか~これは皆さんの心に直接話しかけている私の声です~)

m(_ _)m(この記事は~働き方を肯定や否定するものではありません~)

m(_ _)m(わたしは組織に属することが苦手な流浪人~なので~)

m(_ _)m(もしそんな感じの人がいたら~なにかの~きっかけになれば~)

m(_ _)m(ただそれだけなんです~この声が届いていましたら幸いです~)

 

 

 

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写真:南国で日々焦げている女

 

現在WEBライターである私は、ある日家族で日帰りの温泉へ行った。

※前職はプロスキューバダイバー前々職は飲食店経営者。

私「あー疲れ取れるー(in湯船)」

母「毎日働いてないのに疲れてんのか?(in湯船)」

私「やめや母。目に見えるものだけを労働だと認識するその前時代的な思考」

母「あ、わるいわるい。体動かしてないのに疲れてんのか?だな」

私「そうそう、その表現は正しい。私は明らかに肉体労働していない。だがいわば脳と指先的な労働は毎日している。疲れているのだよ母」

私「わかるかい母。目に見えないものを追いかける日々もそれなりに疲れるのだよ」

母「ほへー大変でござんすな」

 

母にとっては、汗を流し肉体で労働することが「働くこと」。

会社に勤めて社会保険・厚生年金を得ることが、働く意味である。わからなくもない。これは、戦後に義務教育という名目で行われた国を修復するために税収を確実に上げちゃおうプロジェクトの一環が成功した証である。

そのプロジェクトは悪い訳ではない。両親は長くしっかりと会社に勤め、その恩恵にあずかり、現在豊かに暮らしている。両親の積み上げる力の強さを尊敬している。

だから否定するのではありませんが、時は流れたのです。働き方の選択肢は往々にしてあり、個人が自分らしくお金を稼ぐことができる時代となりました。

 

最近では、両親ともに私のライフスタイルを受け入れてくれていますが、周りの人には私のことでモゴモゴしているようだ。

 

「ムスメさん帰ってきてるの?仕事はどうするの?どこにつとめるの?」私の周りの大人たちには、このフレーズがプログラミングされているようだ。息をするように皆がすらすらと発する。

「家でパソコンの仕事をしている」これが両親の説明である。

周りは高齢でもあるので「パソコンの仕事」というのは、なにか未知のことをやっているように感じ、パソコンのことをそれ以上聞いてもわからないとどこかおじけづくので、土足でガンガンくる的な質問攻撃を終わらせるにはもってこいの返答である。

※普通に初対面で「いくらもらってるの」と聞いてくる強靭なはーとたち。

でもなぜかやたらと両親はバツが悪そうに「パソコンの仕事をしている」と言うのです。「文章を書いている」とは、言わない。

 

田舎では特になのだと思うが「絵を書いている」「文章を書いている」という人は、「アイドルになると言っている」というのと同じくくりになる。

夢みたいなこと言ってんじゃないよ、なのである。

 

田舎の人に、夢が無いと言っている訳ではない。

これは私の両親のことですが、戦後の時代を生き抜いてきたいわゆる閉鎖社会の人間(インターネットなし、テレビチャンネル4チャンネルのみ、うちNHK2局、離島で島以外の人との触れ合いなし)にとって、そういう汗水を流さない仕事はノーアイディアなのだ。現実には存在しないものと等しい。

そして、絵を描いたり・文章を書いたりしても飯は食えない、とこういう意見なのである。そうかもしれない。かの有名な純文学の文豪らは、おしなべて困窮した生活を送っていた。大多数が食えなかったのは、火を見るよりも明らかだ。私が純文の作家で、芥川賞を目指しているのならその予想はあながち間違いではない。

だが、私はクラウドソーシングでWEBライターをしているから、大丈夫である。

 

WEBライターは、人をウットリさせる文章を書く仕事ではなく、しんどい時にヒロポンを摂取して筆をとる訳でもなく、あるいは酒に溺れながら日本の将来を憂うこともなく、どちらかと言えば、明確で簡潔な文章で確実に情報を伝えることができる文字の塊を生み出すという技術屋なんである。

 

※漢字使用率・読了時間の計算・文字数制限・使用キーワード制限etc・・・沢山の縛りと制約があり文章を作ります。

 

 

どうころがっても芸術家ではないのだ。

人間を失格だと思ったり、我輩を猫だと言ったりすることもない。

 

両親に収入を公表していないので、両親すらそのように思っているのかもしれない。外国から帰ってきて頑張っている娘をそっとしておいてあげよう、と思っているフシも伝わって来る。

 

さて、肉体労働をしないことが、そんなに非国民なのだろうか?

 

会社に属してない、実体のないことをやっている(物をつくるとか、売るとかではないという意)、これが、まっとうではないと感じるようです。

 

そもそも私が会社勤め出来ない最大の理由は「時間が取られすぎる」ということ。会社で8時間働いて得る給与には、限界がある。大した学歴も実績もなく、どうあがいてもお給料がそこそこの会社にしか勤められないスキルの私にとっては、そこで8時間使うという非効率さがたまらない。

また、ひとつの仕事で生きていくとなると、その仕事がつまんなくなった時に逃げ場がない。すぐに窮地に追い込まれる。いつしか会社勤めをして確実に食べることが生きる理由になり、興味のある事を泣く泣く諦めてしまうということとなる。

私の場合は、お金は分散して稼ぐと逆に安定すると言えます。

 

ちょこっとずつ色々稼ぐ生き方とは?

 

例えば、

週4回早朝4:00~7:00までパン屋で働く

後は在宅で

ネットでせどりをするとか

WEBライターをするとか

これはあくまでも例えですが。自分の好きな分野でお金を生み出す方法を真剣に考えてみるといいと思います。幼少期から生粋のアキバ民であった友人は、40歳で精神的な病で会社を退職した。無職で暇だし、心の落ち込みが軽くなるようにと、好きな同人誌をひたすら解説し紹介していくというブログを立ち上げた。

それが瞬く間にヒッツし、今やそのブログだけで月に50万円以上の収入を得ている。現代社会、何がきっかけでその人特有の錬金術が誕生するのかは未知数である。

 

お金が足りない!という人は、足りるところに暮らしたらいいでしょう。私の島は物価が安く、新鮮な野菜と魚が都会の3分の1程度の値段で買えます。

 

日本一本を売る編集者である箕輪さんが、こんなことを言ってました。(お金2.0や多動力の編集者)

落合陽一さんも、堀江(ホリエモン)さんも言ってました(堀江さんは著書多動力のなかで)。

 

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時代の先駆者が言うのだから、私が言うより信ぴょう性があります。

承認欲求どうこうではありませんが、今まで各方面への興味からいくつもの仕事を同時並行でやってきたことで、不誠実な人みたいに思われていたのが、やっと日の目をみそうだと甘酸っぱい気持ちがあることは確かです。素直に嬉しい。

 ※今はライター業で生活していますが、健康に関するワークショップもやり始めています。

 

目に見える労働の形がなくても大丈夫だし、自分ができることを仕事にするのは本当に負担が少ないんです。生き方を一度違う角度からみてみる機会があると、いいですね。

 

 

以下は、20歳の時、私の職業が焼き芋屋だったことの話です。

 

amadeus1010.hatenablog.com

 

これは私の日常です。

 

 

amadeus1010.hatenablog.com

興味があれば、よろしくお願いします!

 

 

いっこの仕事で全てまかなおうとするからしんどいんじゃないかしら、ということについて、でした。